M.R.T(Mika's Record of thought)

大学生ミニマリスト【2020年の抱負:集中!-人事を尽くして天命を待つ-】

大学受験の失敗を“今”に生かす

この時期になるとセンター試験を思い出すんだよね。

 

元旦に北予備の模試受けたこととか、放課後学校で勉強してマック行って勉強して塾行って勉強してって自転車走らせまくったこととか、センター当日大雪でめっちゃ早く家出た結果全然会場に人おらんかったこととか……なつかしいなぁ。

 

だけど、高校3年生の受験期の過ごし方を思い出すと、いろいろ反省した方がいいところがあると思うんだよね、今更だけど(笑)

 

今回はそんな受験期の反省を3年越しにやっていきたいと思うよ。

 

ーーー

①楽しくないならやめた方がいい

 

「いやいや、嫌な勉強、苦痛な勉強をやり抜いた末に“結果”が出るんだよ」という考えの人もいるかもしれないけどそんなことはないんだよね。

 

例えば、野球で結果を残したくってバットを振っているとき、自分がホームランやヒットを打っているとところを想像しながら振ると、その時間は案外苦痛じゃない。

 

だけど、ただただ一日300回降れと監督に言われたからやっている、というのだと苦痛になるし、質も落ちて本当に意味のない時間になってしまう。

 

やってる時間が「苦痛」だと感じているなら、私はやらないことをお勧めする

 

だけど、やめる前に一つやって欲しいのは「自分なりに楽しむ方法はないか?」を考えるということ。

 

例えば、英語の勉強だったら、頻出単語や熟語で自分だけの文章を作って読む。

生物の勉強だったら、実際に外に出て、草木を眺めながら細胞の勉強をする。

 

ここで大事なのは、“自分が楽しい”と思うということ。

友達や先生の勉強の仕方を参考にするのはいいけど、人それぞれ合う合わないは絶対あるし、“心の底から楽しいこと”は意外と十人十色なんだよね。

 

だから、本当に自分が楽しく勉強できる方法を探すこと、どうしても楽しむ方法が見つけられないなら、やめて得意分野(楽しめる分野)に力を注ぐ決断力も大切だとおもうよ。

 

ーーー

➁机に向かう=勉強ではない

 

これは本当に反省しているんだけど、受験期当時は机に向かっている時間ばかり気にして、「やった気」になってた。

 

平日はたぶん4時間くらい勉強していたと思うんだけど、たぶん本当に集中してたのは1時間くらいだったと思う。

 

1日〇時間勉強しているって数字で言ったり、実際に長時間机に向かっていたりすると、それだけで先生や親からの評価を得ることはできる。

だけど、本当に大事なのは他者からの評価ではなくって、点数で結果を出すことだよね。

 

他者からの評価にムダに時間を使って、自分の人生の質を落としたくはないよね

 

ーーー

③努力しているフリで得られるものは何もない

 

「あいつは、頑張らなかったからダメだったんだ」、「あんなの落ちて当たり前だ」、「あんなにサボってたやつが受かるなんて許せない」と言われる覚悟を持つこと。

 

これがなかなか難しい。

 

睡眠時間を削って勉強してたり、隙間時間ずっと単語帳を読んでたりする人に対して、悪い言葉をかけることができる人っていないと思う。

 

つまり、「形」さえ勉強をしていれば、誰も責める人はいない。

ただ、「形」を気にしすぎて、「形」だけになってしまうと、好い結果は絶対にでない

 

客観的に努力しているという「形」は、ダメだった時の言い訳になり得るんだよね。

正直周りの評価は、事実ではない。周りの評価というのは、すべてその人の主観。

 

「形」に集中力が分散してしまうのって、もったいないことだよね。

それなら、勉強をより楽しく、面白くすることに力を入れる方がよっぽどいいよね

 

ーーー

④とにかく自分に「ポジティブ」な声かけ

 

一つ単語を覚えるごとに「よっしゃー!」とか、模試で勉強した問題が出たら「ラッキー!」って心の中で唱えると、勉強がどんどん楽しくなっていくんだよね。

 

人ってプラスの感情とマイナスの感情を同時に感じることってできないから、勉強している間は常にポジティブな声かけを意識して、勉強=楽しいものにしてしまうのがいいんじゃないかな。

 

そして、特にポジティブな声掛けが生きてくるのは、受験当日。

 

受験当日って、何があるか本当にわからないんだけど、私の場合最初の科目の国語が全然できなくって、解けば解くほど、「やばい、やばい…」ってゆうマイナスの感情でどんどん力が発揮できなくなっていった。

 

それもあって、次の英語は切り替えようと思い、自分に「英語は塾の先生にしっかり教えてもらったし大丈夫!」「いけるっしょ!」ってゆう、厳密にいうと根拠はないんだけど、とにかくポジティブな声掛けを心の中でし続けた。

 

結果、国語の点数は半分なかったし、一方で英語は今まで受けたどの模試よりも高い点数を取ることができた。

 

これが偶然ってゆうのも否定はできないけど、やっぱりテスト中の「気分」って、結果にも影響すると思うんだよね。

 

スポーツでも、「勝てる気がしないな~」「打てる気がしないな~」「エラーしそうだな~」って、マイナスなことを考えていると本当にそうなっちゃうよね。

 

マイナスの感情を抱いている間って、成長もないし、挑戦もできない。

現実を悲観的にみている間って現実逃避ができちゃうから、マイナス思考についつい甘えがちなんだけど、結果を求めるなら、絶対にプラス思考が良いんだよね。

 

「ポジティブを意識すること」は今この瞬間からでもできること

 

せっかく同じ時間を過ごすなら、楽しい時間、幸せな時間にしてしまいたいよね。

 

ーーー

<おわりに>

 

過去の経験ってそのままにしがちだけど、振り返ってみると今に生かせる学びがたくさんあるんだよね。

 

起きた出来事を、「楽しかった、面白かった、悲しかった、悔しかった」とかってゆう、ありきたりな表現で終わらせるのはよくないと思うんだ。

 

何がどのように楽しかったのかとか、何でそんなに悔しかったのかとかを細かく分析してみると、これから自分がどんな感情や結果を求めて生きていきたいのかってゆうのが明確になってくると思うんだよね。

 

過去の嫌な記憶も、冷静に向き合って、何がどのように嫌だったのか、どうしてそんな嫌なことが起きたのか、それは回避することができたのかって言うことを分析することで、未来をよくする“価値”あるものに変えることができる。

 

失敗が“価値”になると思うと、挑戦も怖くないよね

 

ーーー

 <今日の一言>

 冬眠したい季節

 

 

 

 

【抱負】集中・ポジティブ・運を高める努力

新年あけましておめでとうございます(祝)

2020年もよろしくお願いいたします。

 

物心がついたころから、お正月初めて会う人には「あけましておめでとうございます」って言ってきたけど、これが言えることって本当に素晴らしいことだよね。

 

人間の唯一の共通の仕事である「生きていること」を一年間の努力の末に成し遂げたわけだから。

 

というわけで、2020年も元気いっぱいで生きていく予定なんだけど、ただ生きていているという目標ではつまらないなので、一応今年の“抱負”というものを掲げておこうとおもうよ。

 

ーーー今年の抱負ーーー

集中!ー人事を尽くして天命を待つー

ーーー

2020年の抱負「集中!」に決めた理由

別にネズミ年だから「集チュー!」ってゆうギャグで決めたわけじゃないんだよ。これは偶然(笑)

 

それはおいといて、2020年の抱負を「集中!」にした理由はかなりシンプルで、2019年なんとなく大事と思いながらも、力を入れることができなかったから。

 

だけど、大事だって分かっていながら、「集中」できなかったのが昨年なんだけど、それが何でなのかが今までは分かっていなかったんだ。

 

だけど、そんなとき偶然、元陸上選手の為末大さんのツイッタ―をのぞいてた時に、こんなツイートを読んだんだ。

 

為末さんのツイッタ―は匿名の質問に対して答えるというのがあるんだけど、まずは、その時の質問がこれ。質問した人にはとても感謝したい。

 

 

為末さんのコメントの中に“今を生きる”というワードがよく出てくるように感じています。“今を生きる”とはどういうことですか?

 

                   匿名質問者

 

 

ただただ人の言ったことを受け入れるだけじゃなくって、「それってどういうこと?」って考えて、質問して、消化しようとする姿勢ってとっても大事だよね。

 

そして、それに対しての為末さんの返答がこれ。

 

 

過去を悔やむ、未来を憂う、他人を羨む、自分を責める、ことを止めることです。今ここの自分にできることに集中することです。

 

               為末大(2019.12.29ツイートより) 

 

これまで、集中しよう集中しようって思って、できてこなかったんだけど、本来私がするべきなのは、「過去を悔やまない・未来を憂わない・他人を羨まない・自分を責めない」ことだったんだよね。集中するってどういうこと?って匿名の質問者さんのように自分に問うことができていれば、もうちょっと早く分かったことなのかもしれない。

 

だけどここで、「あー、なんで昨年の自分はこのことに気が付けなかったんだー」って過去を悔やんじゃいけない。

 

今できることは、過去を悔やまず、今に“集中”すること。

過去の失敗を“価値”に代えてしまうこと。

 

「成功者は失敗の体積がめちゃくちゃ大きい」っていう話を聞いたことがある。

やっぱり成功するためには、失敗はつきもので、それをどう生かすかが大事なんだよね。

 

私が今回学んだのは、「それってどういうこと?」って自分に問うことの大切さ。

分かっているのにできないことって、だいたい「どういうこと?」「具体的にどうすればいいの?」って言う問いが足りてないとき。

 

2020年は、抽象的な言葉に対してそれってどういうこと?って問うこと、自分はどうすればいいの?何を変えればいいの?って言うところまで問を突き詰めることも大切にしていきたいと思うよ。

 

そして、2020年の抱負が「集中」じゃなくて「集中!」な理由。

これは、「ポジティブで行こう!」って意味が込められているよ。

 

起きてしまった事実って、何もしなければ単に事実なんだけど、人間は何かしら解釈を加えようとするよね。

 

例えば、お正月が空けて今日から学校が始まるって言うのに、目が覚めたら授業が始まってたってなったら、めちゃくちゃ焦るし誰でも負の感情を抱いちゃうよね。

 

だけど、これをポジティブに解釈するなら、もしちゃんと起きれても寝不足の状態だったら、学校に行くまでに事故にあってたかもしれないし、友達と会っても笑顔で「あけおめー!」って言えなかったかもしれない。

 

めちゃくちゃな解釈かもしれないけど、起きた事実って変えられないんだから、こうでもしないとどんどん負のスパイラルに入って行っちゃうんだよね。

 

「初日から遅刻しちゃった、最悪~」って状態だと、なんとなく学校に行くのがイヤになったり、友達と会うのも面倒になったり、就活も嫌になったり……。やっぱり、ポジティブに勝るものはないよね。

 

そして、過去を悔やむことは集中していない証拠。

そんな意味でも、ポジティブ思考は大切にしていきたいと思うよ。

 

ーーー

サブ抱負「人事を尽くして天命を待つ」

 

これを付け加えた理由は、今年は「努力で運を勝ち取りたい」、そう思ったから。

 

私は、大学3年生でゼミに所属しているんだけど、新年一回目のゼミでそれぞれの今年の抱負を発表することになったんだよね。

 

その時はまだ、明確に抱負を決めていなくって、とっさに言ったのが「運を高めたいです。」って言葉。

 

私の所属しているゼミはちょっと哲学的なことを学んだり議論したりするゼミで、神様とか運とかって話を以前したことがあった(ちなみに私が所属しているのは文学部でも哲学科でもない(笑))。

 

だからゴミ拾いをたくさんしたからと言って学校の成績が上がらないのは知っているし、トイレ掃除だけを一生懸命したからといってお金持ちになれないのは知っている。

 

行為と運って物理的な法則では何の関連もないんだよね。

 

だけど、それでも私は「運」を高めたいと思った。

 

これはこの一年私自身が実践していくことによってしか確かめようがないんだけど、運を高める唯一の方法って、「できることをやり尽くす」ことなんじゃないかっていう結論に至ったんだよね。

 

できることをやり尽くそうとしている人には、神様も味方してくれるんじゃないかな。

これは、とっても根拠の無い持論だけど、根拠がないからこそ、実践する価値はあると思うんだよね。

 

ということで、2020年の抱負は「集中!-人事を尽くして天命を待つ-」

でいこうと思うよ。

 

ーーー

<おわりに>

昨年ブログを開設して、現在15名の読者さんにフォローいただいています。

読んでくれる読者さんがいるというのは、私にとってとても大きなモチベーションになっています。

 

人の目線で文章を書いたりお話をしたりすることがあまり得意な方ではないのですが、「発信したい!」という利己的な欲求に負けてしまいブログを書いているのが現状です。

 

「何を言いたいんだろう?」「もうちょっと簡潔に言ってくれないかな?」と、読者さんから指摘を受けるほどの影響力はないですが、2020年は、「もっと分かりやすく書けないか?」「もっと面白い構成にできないか?」など、より読者さん目線でブログが書けるように努めていこうと思います。

 

2020年もどうかよろしくお願いいたします。

 

ーーー

 <今日の一言>

 ホットのほうじ茶ラテが美味しい

 

 

 

お金持ちになりたい大学生ミニマリスト【選択の自由】

ミニマリストってゆうと少ないお給料で最低限のモノだけで暮らしていくってゆうイメージがあると思う。(年収90万で生活する!みたいな…)

 

もちろん、大学を卒業して就職してからもその考え方を変えるつもりはない。

 

だけど、大学3年生の今、企業を選ぶ基準として“お給料”や“福利厚生”はちゃんと見るようにしている。

 

確かに、月9万で生きていけるならそんなに“お給料”重視しなくてもいいじゃん!って思うかもしれない。

 

だけど、私がお給料を重視する理由が二つあるんだよね。

 

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ーーー

お給料を重視する理由①:仕事内容

 

給料が高い仕事って、やっぱりそれなりに仕事内容に責任が伴うものが多いんだよね。

 

「いや、どんな仕事も責任は伴うよ!」ってゆうのはもちろん間違いではないと思う。

だけど、責任の重さはやっぱり高い給料をもらっているほど重いようになってるよね。

 

例えば、アルバイトの男性が接触事故を起こしても99%ニュース報道されないけど、芸能人が同じ事故を起こすとネットやニュースですぐに取り上げられてしまう。

 

影響力の違いだから給料関係ないじゃん!って思うかもしれないんだけど、日本の仕事って影響力と給料って完璧でないにしてもある程度の相関関係が成り立つと思うんだよね。

 

例えば、人気ユーチューバーとか大手企業の社長の影響力ってものすごいよね。

そして、その人たちって“お金”がたくさん入ってくるようになっているよね。

 

影響力ー責任ーお金

 

ってやっぱり切り離せないんだよね。

 

私も、そんな影響力を持つ人間になりたい。(←これはただの“欲求”)

 

だから、私がこれから就く仕事が重い責任を伴う=影響力を持てる仕事なのかの判断基準として、“お給料”を見ていきたいと思うんだ。

 

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お給料を重視する理由➁:貧乏の「金は要らない」はダサい

 

まあ、別にダサくってもいいんだけどね(笑)

 

だけど、やっぱりお金持ちの「幸せは金じゃない!」ってゆう発言と貧乏のその発言とでは、全然印象が違うよね。

 

やっぱり、お金があってモノを買うという“選択の自由”がある状態で、必要なモノしか買わないという選択をしたい。

 

<買えない><買わない>

 

って全然違うよね。

前者は選択の自由がない状態で、後者はそれがある状態。

 

人生を充実させるには、選択の自由があって、自分でそれを選んだんだってゆう感覚が大切だと思うんだ。

 

だからこそ、充分な“お金”がある状態で、本当に必要なモノはいつでも手に入れられるという状態でいたい。

 

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<おわりに>

 

子どもの頃から世間にいろんな「ふつう」や「当たり前」を刷り込まれますけど、世間ほどぼんやりして当てにならないもんはない。自分の実感を基準にしたほうが、のちのち変わってしまったとしても、人のせいにしないくてすむし、長い目で見ればずいぶんラクに生きられる。

 

          大原扁理著『年収90万円で東京ハッピーライフ』

 

 

冒頭の「年収90万」でピンときた人もいるかもしれないんだけど、実は隠居生活で有名な大原扁理さんの隠れファンなんだよね。

 

扁理さんは決して隠居の推奨や普及の活動をしているわけではなくって、世間の常識に合わせることに必死にならなくても全然生きていけるよ~って感じのことを教えてくれるんだよね。

年収90万円で東京ハッピーライフ

年収90万円で東京ハッピーライフ

 

 扁理さんの場合は、週休2日(実際は1日?0日?)ってゆう常識に合わせずに、自分の中でベストな週休5日を選択してるんだよね。

 

一般的な意識だと、週5日も休んだらお金が無くなって生きていけないよ!って考えちゃうと思うんだけど、実際に扁理さんは生きているし、さらに充実した生活を送っているんだよね。

 

別に週休5日にしたいとは、私は思わないんだけど、週5日休んだら生きていけない!って状態で生活するのと週5日休んでも生きてはいけるけど働きたい!と思って生活するのでは全然違うよね。

 

これも、やっぱり後者には“選択の自由”がある。

 

みんなが働くから働く、みんなが働かないなら働かない、周りに簡単に左右されるようじゃ自分の人生を生きてるって感じがしないよね。

 

だから、私は「自分で選んでるんだ!」ってゆう感覚を大切にして生きていきたいと思う。

 

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 <今日の一言>

 ウルトラライトダウンに幸せを感じながらの執筆

 

 

 

【わからない病】私に住み着く@さん

 

題名:『わからない、わからない。』@さん著

 

 わからない。

 植物は太陽に向かって伸びていくものでそれはもう遺伝的に組み込まれていて、植物とはそういうものだ。種をばらまいて、この地に自分の遺伝子を残すことに全力を注ぐ。人間はどうだろうか。正常ならば、遺伝子をのこし、子孫繁栄に全力を注ぐのだろうか。この理論だと少なくとも私は正常ではない。なぜ、人間が増えるべきなのか。恐竜が絶滅したように人間だっていずれ絶滅するだろう。人間は考える能力を与えられたが故自滅した。私にはそのような未来がどうも遠くないようで気が気でない。まあ、人間がいた形跡など跡形もなくなるわけだから、余り不安に感じる必要もないわけだけど。跡形もなくなるのに、喜んで怒って哀しんで楽しんで、何になろうか。誰かのためにと必死なっても、その誰かも自分も跡形もなく居なくなる。そもそもいつかは宇宙まるごとなくなるのであろう。無とはいったい何なのだろうか。わからないのだが、今の私にはどうしていいのかわからない。宇宙に関する知識を本など読んで得るべきか。はたまた宇宙について詳しい人に聞くべきか。いや、それでは私のわからないは解かれない。みんななぜわからなくないのか。自分がどうして生きているのか、どこに向かって生きているのか、賢明に生き延びようとしながら死に向かっていることに何の違和感も持たないとはどういうことなのか。善いとは何で悪いとは何なのか。平気で社会生活を営んでいる大人たちは、これらのわからないがわかった人たちなのか、わからなくないひとたちなのか。病気とは何で健康とは何なのか。マジョリティを正常と呼び、マイノリティを異常と呼ぶ。異常であることの何が問題であろうか。ルールやマナーが守れない。守れることの何が正しいというのか。過剰な欲を持つと崩壊する。無欲になっても崩壊する。いったいどうすればいいのだろうか。私は半分崩れかけながら死ぬまで修復作業を続けていかなければならないのだろうか。幸福を選択した者は迷いなく立派な城を築こうとするだろう。どうして私は、城を築くべき理由を考えることばかりに力を注ぐのだろうか。自分はもしかすると城を築くより穴を掘るべきかもしれない。だが、地下に掘り進めることを実行したとしても、その選択が正しかったと確認する手段はない。それは嫌だからとりあえず地上から城をじっと眺める。あんな城つくったってどうせいつか崩れて跡形もなくなるんだと、まるであのブドウは酸っぱいとでも言うように言い捨てるだろう。そんな自分は嫌だ。どうしていいかわからない。本を読めばわかるかと思ったが、読めば読むほどわからない。自分は一生かけて、この世にはわからないことがたくさんあるということを学ぶのだろう。

 わからない、わからないと嘆きながら。

 

ーーー

<おわりに>

@さんは普段は謙虚であまり表には出てこないんだけど、「わからないよ。」って時には容赦なく主張を始める。

 

まあ、@さんは私の中に住み着いてるんだけど、こんなわからない病の@さんとの共存は意外と嫌じゃないんだよね。

 

この記事を読んでくれた人の中にも、わからない病を患った@さんみたいな人が住み着いちゃってる人がいるんじゃないかな。

 

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 <今日の一言>

 寒い日の温かいココアは格別

 

 

 

 

ブックカバーはいらない?【今の自分にとって必要なモノ】

 

 

レジに本を持っていくと、店員さんに毎回聞かれること。

 

「ブックカバーは付けますか?」

 

「……お願いします」

 

「要らないです」って言えばいいものを、タピオカのストロー通しますか?のノリでお願いしますって答えちゃう。

 

そして、ブックカバーの着いた本が棚に増えていく。

 

ブックカバーが着いている本の最大のデメリットは、本のタイトルが見えないこと

 

もしも、本屋さんに行って全部の本にブックカバーが装着してあったら(想像したらちょっと笑える)絶対買わないよね。

 

だって、タイトルのない本って誰も手に取ろうと思わないから

 

自分の家にある本も一緒で、本の大きさって全て違うわけではないからブックカバーがしてあるとどれがどの本かなんてすぐ分かんなくなっちゃう。

 

そして、本が増えれば増えるほど、もう完全にブックカバー着きの本屋さん状態。

 

何度も読み返すために買ったはずの本なのに、タイトルが分からないから自然と手に取らなくなる。そして、なんとなく本を順番にパラパラめくっているときに「あれ、そういえばこの本持ってたんだ」って感じで発掘される。

 

特に私の場合、図書館で借りて読むことが多いから、所持している本と所持していない本の区別がつかなくなっちゃうんだよね。

 

あとたまに、「あの本読み返そう!」って思って、本棚見て「あ、持ってなかった。」ってこともある。

 

やっぱり持っている本を把握しておくことって大事だなって思う。

 

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ってゆうことで、全部ブックカバー外しちゃえーって勢い良く外していったんだけど、結局は全てのブックカバーを断○離することは出来なかったんだよね。

 

というのも、やっぱり読んでる本って、自分の内面の一部みたいな感じがして、人に見られたくないものもあったりする。

 

自分の内面を全部さらけ出せるぐらいの勇気があればいいんだけど、どちらかというと内向的な私はやっぱり恥ずかしさを覚えてしまう。

 

現在の私の棚の状況は、ブックカバー着きの本が1冊新書用の大きさのブックカバーが一つと、大きめの本用のブックカバーが一つ。それ以外は、裸の状態。

 

思い切って全部捨ててみるのもよかったかもしれないし、たぶんそれでも困ることはないとは思うんだけど、外で読む本は毎回ブックカバーが付いている本を選ぶことを考慮すると、最低限のブックカバーは自分には必要だという結論に至った。

 

今回、ブックカバーを捨てようと考えるまで、最低限3つのブックカバーが自分には必要だということに気が付くことができなかった。

 

だけど、いつか自分の内面を全開にして、どんな本を読んでるかも全部見せびらかしちゃえるくらいのオープンな人間になったときには、「もうブックカバーはいらない」って言って、全部捨ててしまえるかもしれない。

 

だから、常にモノを捨てる・買う判断をするときは、今の自分にとって必要かどうかを基準していきたいと思うな。

 

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 <今日の一言>

 掃除機かけるときはイヤホン必須

 

 

 

努力しない生き方【引き算的思考】【本】

最近、大学のゼミの時間に『努力』というものについて話し合う機会があった。

 

努力がいいか悪いかとか、努力ってそもそも何なの?とか、努力って主観的努力と客観的努力があるよね等々……。

 

中高時代運動部に所属していた私は、もちろん『努力』という言葉について考える時期はあった。

 

で、そんな「『努力』ってなんやねん」(純広島人じゃけぇそんな言い方はせんってのは置いといて)って時期に出会った本がこれから紹介する桜井章一著『努力しない生き方』。

 

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本の情報

タイトル:努力しない生き方

著者名:桜井章一

出版:株式会社集英社

発行年:2010年3月23日第一刷,2010年4月13日第二刷

努力しない生き方 (集英社新書)

努力しない生き方 (集英社新書)

 

 

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目次

はじめに

第一章「努力しない」から、いい結果になる

努力しないー力が入ったら疑え/持たないさいー持つほどに不自由になる/得ない/「得る」ことは「失う」とである/恨まないー上手な諦め方は生きる力を生む/壁を越えないー壁は上に乗るといい/頑張らないー頑張ると柔らかさを失う/悟らないー悟らぬうちが花/苦しまないー期待しなければ苦しくならない/隠さないー賢く見せるのは賢くない

第二章「何もない」から、満たされる

満たさないー「何もない状態」は豊かである/才能を磨かないー「生きる」という才能があれば十分だ/休まないー仕事が休みになる/相手を読まないー分析したらそこで終わりになる/「絶対」を求めないーアバウトなほうが的を射る/格好をつけないー「 」をつけないことが、格好いい/プライドを持たないー誇りはうつむき加減に持つ/覚えないー知識は足すより引いてみる/急がないーゆったりするとものごとを鋭くつかめる/正さないー部分だけ正すと元に戻る/意味を求めないー意味のないところに可能性がある

第三章「つくらない」から、いいものが生まれる

つくらないーつくると嘘が入る/「裏のない人間」にならないー表だけで生きるとおかしくなる/軸を一つにしないー360度回転する軸を持て/尊敬しないー尊敬は学びの機会を奪う/よいことをしないーよいことにとらわれると悪を生む/他人事にしないー他人事は自分事である/否定しないー嫌なものも自分の中を通してみる/健康を求めないーー過度な健康志向は病である/安全・安心を求めないー安全な社会は生きる力を弱くする/貫かないー多様性を生きるとキャパも広がる

第五章「計算しない」から、負けない

計算しないー計算しないほうが勝つ/テクニックに頼らない―テクニックだけだと行き詰まる/エネルギーを抑えないー出せば出すほど湧いてくる/見ないー聞くことで相手が見えてくる/運を求めないー運を意識する人に運は来こない/立ち止まらないー「休む」も「動き」の一つ/集中しないー集中は丸く広げていく/育てないー「育てない」から上手くいく/刺激を求めないー文明の刺激は感覚をおかしくする

あとがき

 

ーーー

こんな内容

 

 

我々が努力して目指す先にあるものは、たいがいお金や名誉や資格や勝利などといった「力」である。だから余計に「努力」は力の入るものになってしまうのだ。

 

              努力しないー力が入ったら疑え

 

ピッチャーが投げた球を打ち返したいっていう純粋な欲求に任せて打てば軽々と打てるのに、ここで打たなきゃチームに迷惑がかかるとかこんなチャンスで打てないようじゃあ人生のチャンスもつかめないよなとか余計なことばかり考えると固まっちゃって手が出せなかったりするんだよね。結局無駄な力が入るときって、他人の眼とか名誉(人生のチャンスをつかみたいってのも言い換えれば名誉を手にしたいってことだよね)とかを気にしすぎちゃってるんだよね。

 

ーーー

 

 

遊びの感覚が入ることで、仕事をしながら同時に「休む」こともできるのである。だから年がら年じゅう自分では休んでいる感じがする。仕事をした後にわざわざ休む必要などないのだ。

 

                 休まないー仕事が休みになる

 

大学生の私はアルバイトをしているんだけど、あんまり頑張ってお金を稼いでるって感じはしてないんだよね。というのも、店員さんが頑張っているお店に行きたい人っているのかな?って思うから。特に接客業は、頑張らないほうが自分も楽だし意外とお客さんも気持ちよかったりするんじゃないかと思うんだよね。

 

ーーー

 

 

人は自由になりたいとき、さまざまな決まり事やルールなどの制約から自由になることを夢見る。しかし、考えてみてほしい。たとえば、麻雀でもほかのゲームでもルールがあるからこそ成り立っているのであって、ルールがないところに麻雀やゲームは成り立たない。ゲームを楽しむにはルールが必要なのだ。

 

             自由を求めないー自由はルールの中にある

 

どれだけ自由を求めても、この地球にいる以上人間同士のつながりから完全に自由になることはできないし、その状況が達成できたとしてもそれはある意味で社会的な“死”を意味するんだよね。だから、今ある状況をルールだと受け入れて、ゲーム感覚で解決していく姿勢がどんなときも大事だと思うんだよね。

 

ーーー

 

 

健康そのものが目的やテーマであるかのような過剰な健康志向は、ある意味、不健康なことである。それは健康病という心の病のようなものだ。

 

             健康を求めないー過度な健康志向は病である

 

健康でいなきゃってことがストレスになって、生活に支障がでたんじゃあ仕方ないよね。どうせ遊ぶならスマホゲームじゃなくって自転車でコンビニめぐりゲームをしようとか、ちょっと肉禁止ゲームを始めてみようとか、そんな感じのゲーム感覚なじゃいと続かないよね。結局、健康でいるコツってあまり健康であることを自分に課さないこと。不健康よりは健康がいいよねってくらいがちょうどいいんじゃないかな。

 

 ーーー

 

 

エネルギーというのは気分が乗らないからといってあまり出し惜しみしないほうがいい。エネルギーは出せば出すほど湧いてくるものだ。

 

           エネルギーを抑えないー出せば出すほど湧いてくる

 

目の前のことに全エネルギーを注ぐ、すごく大事なことだよね。いろんなことがうまくいかないときって、悩みとか他の人の眼とかに気をとられて目の前のことに集中できてないことが多いんだよね。一回、悩みとか他人の眼とかに分散しているエネルギーを“今やっていること”に集中させることが大切かもしれないね。

 

ーーー

 <追記>

 

○○しない生き方。

 

この引き算的思考って、ミニマリストと共通する考え方だよね。

引き算していくことで、大切なモノだけが残る。

名誉とか他人の眼とかを削ぎ落していくことで、無駄な力が抜ける。

 

「努力しない生き方」は、言い換えるとミニマリスト的生き方なのかもしれないね。

 

ーーー

 <今日の一言>

 二輪民大学生にとってヤマトの集荷サービスはありがたい

 

 

 

 

本を読むことと知識の共有【一人でいること】

運動しない、本を読まない、スマホを見ない、買い物しない、考えない。

 

何もしない状態でいるのって思っている以上に難しいことなんだよね。

 

何もしていないと落ち着かないから、特に理由もないけど健康のためって言ってランニングしに出かける。でも、それだけだとモチベーションが保てないって言って、新しいナイキの靴を買う。 ついでに、新しいジャージも買っちゃったりする。2日続いたかと思えば、3日目には今日はアクティブレストとか言ってベットに寝転がって本を読み始めたかと思いきや、いつの間にか持ってたはずの本がスマホに変わっている。ちょっとわからない単語調べようと思って、検索しただけなのにいつの間にか、amazon開いて欲しいものがないか物色している。

 

 

一人でいる努力をしてみれば、それがいかに難しいことかわかるはずだ。一人でいると、そわそわと落ち着かなくなり、かなりの不安を覚えたりする。こんなことをしても何の価値もない、ばかばかしい、時間をとられすぎる、などという理屈をこねては、この修練を続けたくないという自分の気持ちを正当化しようとする。

 

          エーリッヒ・フロム著『愛するということ』

 

 

結局何もしてない状態に耐えることができないから、モノを買ったり無駄に働いたりして、「一人でいる」時間を紛らわすしかなくなっちゃうんだよね

 

最近だと、スポーツ競技の現役を引退して、薬物依存で捕まった元プロ野球選手の清原選手や万引きがやめられなくなってしまった元陸上選手の原裕美子選手がその例だよね。

 

今までスポーツをすることで埋めてきた時間を、何に使っていいか分からなくて、いきなり「一人でいる」自由な時間を与えられても、どう使っていいか分からないんだよね。

 

だから、何かに“依存”することでしか、「一人でいる」時間を埋めることができない

 

人によっては、パチンコかもしれないし、アルコールかもしれないし、勉強かもしれないし、仕事かもしれないし、また別の何かかもしれない。

 

私自身も、この20年間を振り替えると、いろんなものに依存してきたなって思う。

 

私は、中高ソフトボールを比較的真面目にやってきたんだけど、高校を卒業するまではソフトボールに“依存”してたなんて思っていなかった。

 

だけど、いざ引退して大学に入学してみると今まで部活動で埋めてた時間とか、活躍することで埋められていた承認欲求とかが満たされなくて、漠然とした不安を常に抱えていた。

 

 

もし私が私の持っているものであるとして、もし持っているものが失われたとしたら、その時の私は何者なのだろう。

 

            エーリッヒ・フロム著『生きるということ』

 

速い球を投げる技術を持ち、強い打球を打ち返せる技術を持つことで監督に認められ、成績を出すことで部活以外の先生や保護者からも自分の存在を認めてもらえる。自分にはソフトボールしかないと思って、もっと一生懸命練習するようになる。

 

でも、裏を返せば、自分はソフトボールで活躍することによってしか存在を認めてもることができないってゆう不安感や孤独感に突き動かされていただけだったんだなと今となっては思える。

 

もちろん、実業団に入れるほどの実力があったわけではないし、大会でもいい成績をおさめることはできなかったから、必然的にソフトボールはやめてしまった。

 

ソフトボールに無意識に“依存”していた私は、それを失って自分が何者なのか?ってことが分かんなくなっちゃったんだよね。

 

そんなこんなで大学2年生の夏ぐらいまでは、「ぽかーん」としながらバイトしたり自転車乗ったりユーチューブみたりして生活していたわけなんだけど、ちょっと社会的に認められている趣味でも持つか〜ってことで本を読み始めたところから生活とか考え方とかが変化していった

 

もちろんん本を読むことで「一人でいる」孤独な時間を埋め合わせているっていう自覚はある。

 

だからこそ、本に“依存”はしないようには注意している

 

本に“依存”するっていうのは、「読まないではいられない!」とか「新しい情報を頭に入れ続けたい!」みたいな感じ。

 

これは、完全に本から知識を得ること(=知識を持つこと)に執着しているよね。

 

確かに本を読んで知識を得ることは大事なことではあるんだけど、その知識をどう活かすか、どう発揮するかってことの方が何倍も大事。というより、知識を持ったまま発揮しなければ、持っていないのとそんなに変わらないんだよね。

 

持っているモノは使う。

 

これは物質てきなモノだけじゃなくて知識とか自分の能力とかも同じことが言えるよね。

 

本で得た知識を生活に活かす。そして、役立った知識はかならず“共有”する。

 

知識って人にあげたからって減るモノではない。

 

だったら出来るだけたくさんの人と“共有”した方がいいよね。

 

知識を“共有”してみんなの幸福度が上がったら、それ以上にいいことはないよね。

 

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<今日の一言>

 雪は好きだけど寒いのは嫌いー雪の降らない沖縄の空を半袖で眺めながらー